何かありそうで何もない

Yet Still Here We Are

ミ・ディアブロー梶本レイカ:欺きあいながら誰よりも互いに誠実であった二人。

オススメのBL漫画。

小田原から東京へ向かう東名高速道路の上で読んだ。窓の外、過ぎ去る景色を何一つ覚えていない。普段車酔いしやすい頭がやけに冴え渡って、たぶんあまりに引き込まれていたがために三半規管さえ麻痺していたのだと思う。貪るように気づけば一冊を読み切っていた。
硝子のような線の美しさと時々はっとさせられる位リアルな肉の質感の入り混じった他に無い画風だとか、フィルム・ノワールの長編映画をぎゅっと一冊に押し込んだような話の重厚さだとか、紡がれる言葉の独特な連なりだとか、そんなのはどこかの誰かが書いていることだと思う。
私は何を言えばいいのだろう。

梶本レイカさんの漫画は、物語を語るために、描かれるべくして描かれたものに思える。

何一つないがしろにされていない、伝えるべきものがきちんとそこに宿っている。だから単なる娯楽としては読めない。大量生産される消費財としてのBLではない。この本を好きだと言う時、それは単なる作品に対する好き嫌いの話ではなく、その人自身の人生を語る言葉になってしまう。だからこそ、もしかしたら人は単純にこの作品を大衆へ勧めることができないのかもしれない。それはその人自身を赤裸々に語る言葉になってしまうから。

この本はBLというジャンルに分類されていて、私はそれが大好きなわけだけれど、そのジャンルという枠ゆえにこの本をおそらく手に取らない人もいるかもしれないと思うと、ひどくもったいない気持ちになる。


ミ・ディアブロ。お互い騙しあいながら、誰よりも互いに対して誠実であった二人の男たちの物語だった。

アメリカ人の父と、メキシコ人の母から生まれたジェイク。父に捨てられ、自らの出生を証明するために警察官になった彼は、自らを麻薬の運び屋と偽り、メキシカンギャングの若きリーダー、ミゲルのもとで潜入捜査をすることになる。凶暴さと人懐こさを兼ね備えたミゲルもまた、白人の血の混じった己の出生に苦しみ、純粋なメヒカーノでありたいと願っている。そんなミゲルが自分に対して示す愛情に、ジェイクは自分が渇望していた父の愛を見出す。
しかしジェイクはミゲルを警察へいずれ売らねばならず、そしてまたミゲルの正体も実は……、というあらすじ。

痛々しい暴力シーン、ドラッグ、退廃、共依存、破滅。ページを繰る指が強張るような描写の数々。それでも繊細な線とコマの構成、さらに美しい言葉が、それらを芸術の域まで高めている。

個人的に好きなのが、退廃の末、強姦状態でジェイクを組み敷くミゲルが、ファザコンだとジェイクを罵りながら父親であるかのように愛を囁き犯す最後に、自分自身の言葉をそっと呟くシーン。

「相手してやるぜ!好色ラティーノ!」
「黙れ!チンピラ!!」
「エイ!ヴェンガ!来いよボニータ!!…(ジェイクの頭を引き寄せ)…『パパだよ、ジェイク』」
「ふッ……ふざけるな!」
「『ジェイク、パパを慰めてくれ』」
「ま…待…て…待って……ムリなんだ……カラダ……ミゲル……」
「『NO パパだ』」
(ジェイク、言葉を失い)
「『愛してる ジェイク』ーー愛してる」(ここのミゲルのセリフの『』外しに戦慄!!)

あまり書くとネタバレになってしまうので抑えるけれど、開始15分で死ぬ役としてミゲルが出演した映画を、何度も何度も何度もジェイクがリピート再生するシーンとかも涙を誘う。

「アディオス ミゲル。君と、人生をやり直したかったな」




絶対にビターエンドだと思ったけれど、最後は救いのある終わり方だった。
おそらく人生の中で、私は何度でもこの本を読み直すと思う。